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リレーは、ただ走るだけじゃない——運動会が教えてくれた「見えない階段」の話

3月29日
読了時間: 3分

秋の運動会。校庭に響く歓声の中で、ある子がバトンを握りしめたまま立ち尽くしている。走れないわけじゃない。体力がないわけでもない。ただ、「何をすればいいのか」が、一度にたくさんやってきすぎて、手が止まってしまうのだ。リレーは、ただ走るだけの競技じゃない。バトンを渡す。決められた場所を回る。同じ色の人を見つける。聞きながら、動きながら、判断する。それは、私たちが思っている以上に複雑な「動作」だった。

運動会のリレーに隠れた「複数の動作」

小学校の秋の運動会。多くの学校で行われるリレー。一見シンプルに見えるこの競技が、実は特性のある子どもたちにとって、驚くほど難しい場面になることがある。

それは、「できない」のではない。やり方がわからないだけなのだ。

リレーには、ただ走る以上のことが求められている。バトンを渡す。決められたところを回る。そして何より、「誰に渡すのか」を判断しなければならない。普通は、「ピンクはピンク」「黄色は黄色」と、同じ色のチームメンバーに渡す。それだけ聞けば簡単に思える。

でも実際には、その中にいくつもの概念理解が埋め込まれている。色の認識、順番の理解、空間的な位置の把握、そして何より、それらを同時多発的にこなす必要がある。

2つ、3つ、4つ、5つの動作を、重ねながら、聞きながら、走りながら。それは誰にとっても大変なことだ。

スモールステップという名の階段

だからこそ、1つ1つを分解していく。

まずは、「バトンを渡す」という行為だけを楽しく練習する。次に、自分たちのコーンを置いて、外周を回る練習をする。それから、「ピンクはピンクの人に」「黄色は黄色の人に」という色のマッチングを、静止した状態で確認していく。

そしてそれらを、少しずつ重ねていく。

最初は、1つのバトンを持って、同じ色の人に渡す。

次は、走りながら、同じ色の人に渡す。

そして最後に、ある程度の距離を回った後に、同じ色の人に渡す。

この段階を踏んでいくと、驚くほどスムーズにいく。

逆に言えば、このぐらい細かく、丁寧にやってあげないと難しい子もいる。でもそれは、その子が劣っているのではない。ただ、必要な階段の数が違うだけなのだ。

成功体験という、静かな自信

この練習を経て、子どもたちがリレーを完走したときの表情は忘れられない。

それは、「できた」という達成感だけではない。自分のペースで、自分の階段を登ってきたという、静かな自信だ。

運動会のリレーは、ただの競技ではない。それは、私たち大人にとっても、「複雑に見えるものを、どうやって分解し、どうやって支えるか」を教えてくれる、ひとつの問いかけなのだと思う。

 
 
 

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