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ダウン症の女の子が教えてくれた、療育の本当の意味

子どもの未来は、最初に出会った大人のひと言で大きく変わることがあります。「この子は難しい」と言われるのか、「この子には伝えたいことがある」と見てもらえるのか。その差は小さな言葉の違いに見えて、実はその子の十年先の景色まで変えてしまうことがあるのです。


「難しい」で終わらせなかった日から始まった成長の物語


普段のラフダイトレーニングの中で、うまくいった成功事例はいくつもあります。

その中でも、長く関わってきた子の成長には、特別な重みがあります。短期間で見える変化ももちろん大切ですが、何年も、何年も一緒に過ごしていく中で見えてくる変化には、その子自身の力と、環境の力と、支援の積み重ねが全部表れます。

今回は、小学校一年生の頃からずっと一緒にやってきた、ある女の子の話をしたいと思います。

彼女は、ダウン症のある女の子でした。

出会ったのは、僕が東京の事業所で働いていた頃です。管理者をしていた時期だったと思います。彼女は見学、体験という形で事業所に来ました。

ご家族は困っていました。

どこの事業所でも、なかなか受け入れてもらえなかったのです。

もちろん、事業所側にもいろいろな条件があります。人員配置の問題もあるし、安全面の不安もある。集団の中でどう過ごせるか、他の子との関わりはどうか、そういうことを考えなければいけない現場の事情もあります。

でも、その時の彼女を見ていて、僕にはどうしても引っかかることがありました。

当時、体験を担当した指導員の先生が言いました。

「この子は、ちょっとうちで受け入れるのは難しいです」

その瞬間、僕は思いました。

ちょっと待ってくれ、と。

それを決めるのは、そこじゃない。最初から「難しい」で終わらせてしまったら、僕たちは何のために支援をしているのか。

彼女は確かに、まだコミュニケーションがうまく取れる状態ではありませんでした。小学校一年生です。言葉で自分の気持ちを整理して伝えることも、相手との距離感を測ることも、まだまだこれからでした。

時には、お友達を叩いてしまうこともありました。

でも僕には、それが「叩きたいから叩いている」ようには見えませんでした。

彼女には、伝えたい気持ちがあったのです。

ただ、それを言葉でうまく出せなかった。どう伝えればいいかわからなかった。気持ちだけが先にあふれて、身体の動きとして出てしまっていた。

それを見て、「問題行動」とだけ呼んでしまうのは簡単です。

でも本当は、その奥にあるものを見なければいけない。


子どもの行動の奥には、たいてい「伝えたい」という小さな声が隠れている。

そこを支援するのが、僕たちの仕事です。

だから僕は、その指導員に少し厳しく伝えました。

この子を受け入れる。ここから一緒にやっていく。難しいから断るのではなく、難しいところを支援するために、僕たちはいるのだと。

そこから、彼女との長い時間が始まりました。

今、彼女は高校二年生です。

小学校一年生だったあの子が、もう高校生になりました。週5日、時には週6日、ずっと通い続けてくれています。僕たちにとっても、本当に一番長く関わってきた子の一人です。

彼女の歩みがすごいのは、単に長く通ってくれたということだけではありません。

彼女は、支援学校ではなく、普通小学校、普通中学校へ進みました。そして高校も、普通校を希望しました。

「私、普通校に行きたいんです」

本人もそう言い、お父様もお母様も、その思いを持っていました。

もちろん簡単なことではありません。高校受験もあります。学校生活もあります。周囲の理解も必要です。環境が変われば、また新しい課題も出てきます。

それでも僕は思いました。

いいじゃないですか。チャレンジしてみましょうよ、と。

そして彼女は高校受験に挑戦し、合格しました。

今では高校でダンス部に入っています。

この事実だけでも、初めて彼女と出会った頃を思い出すと胸が熱くなります。あの時、「受け入れは難しい」と言われていた小学校一年生の女の子が、今は高校で自分の居場所を持ち、部活動に参加し、日々を生きています。

しかも、彼女は本当によく話します。

発語という面で言えば、今はもうめちゃくちゃ喋れます。達者なぐらいです。話すことが好きで、自分からどんどん発信できます。相手の話を受け取る力もあります。

一般的に、ダウン症のお子様について語られる時、「朗らか」「おとなしい」「にこやか」「のほほんとしている」といったイメージで見られることがあります。

もちろん、そういう気質を持つ子もいます。けれど、それだけで一人の子どもを決めつけることはできません。

彼女は、エンタメ療育の中で育ってきました。

表現すること、受け取ること、人と関わること、楽しみながら挑戦すること。その環境の中で、彼女はどんどん自分を出せるようになっていきました。

今では、普通の大人よりも話すのが好きなのではないかと思うくらい、バーッと話します。

高校の先生たちも驚いていました。

「思っていたのと違う」

そんな反応がありました。

それは、彼女自身の力が表に出てきた瞬間でもあります。同時に、周囲が持っていた先入観が更新された瞬間でもありました。

僕たちは今、訪問支援にも入っています。学校での様子を見たり、先生方と連携したりしながら、彼女がよりよく過ごせる環境を一緒につくっています。

その中で、改めて感じることがあります。

子どもは、環境で大きく変わる。

「だいたいこうだよね」と思われていることがあっても、その子がどんな場所で、どんな人と出会い、どんな経験を重ねるかによって、見えてくる姿はまったく変わります。

もちろん、特性がなくなるわけではありません。支援が必要なくなるわけでもありません。課題がゼロになるわけでもない。

でも、その子の可能性は、最初に見えている範囲だけでは測れないのです。


可能性とは、最初から見えている能力ではなく、関わりの中で開いていく未来のことなのだと思う。

彼女は、それを体現してくれています。

小学校一年生の頃、言葉で伝えきれず、行動で気持ちを表していた女の子。どこに行っても受け入れが難しいと言われていた女の子。

その彼女が今、高校二年生になり、普通校に通い、ダンス部に入り、自分の言葉でたくさん話し、自分の世界を広げています。

そして次は、高校三年生になります。

その先には、働くというステージが待っています。

お父様とお母様からは、もう言われています。

「就職、お願いします」

僕は答えました。

「わかりました。頑張ります」

でも正直に言うと、不安よりもワクワクの方が大きいです。

彼女には、可能性しかないと思っています。もしかしたら、これからの未来をつくる人かもしれない。そう本気で思わせてくれるだけの歩みを、彼女はすでに見せてくれています。

ラフダイトレーニングやエンタメ療育の可能性は、こういうところにあります。

ただスキルを教えるだけではありません。ただ困りごとを減らすだけでもありません。

その子が本来持っている力を、どうすれば外に出せるのか。どうすれば「できない子」ではなく、「まだ伝え方を探している子」として見られるのか。どうすれば本人も家族も、未来に期待を持てるのか。

そこに向き合い続けることが、支援の本質なのだと思います。

あの日、もし彼女を「難しい」で終わらせていたら、今の景色はなかったかもしれません。

でも、受け入れると決めた。伝えたい気持ちがあると信じた。そこから一緒に時間を重ねた。

そして今、彼女は自分の足で次のステージに向かっています。

子どもの未来は、最初から決まっているわけではありません。

大人がどう見るか。どんな環境を用意するか。どれだけ長く、信じて関わり続けられるか。

その積み重ねが、十年後の姿を変えていくのだと思います。

彼女のこれからが、本当に楽しみです。

 
 
 

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