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「できない」を越えるチームのつくり方

誰かを支えることは、最初はとても美しい行為に見える。困っている人に手を差し伸べ、迷っている人に道を示し、不安な場面でそばにいる。でもある時ふと気づくことがある。自分が支えているつもりだった相手が、いつの間にか、自分がいないと立てない状態になっているかもしれない、と。


支えることと、立たせることのあいだで


4月と5月を振り返る中で、いちばん強く残った課題は、管理者がいない時間の現場の動き方だった。

声かけはしている。タスクも渡している。時間の区切りをつくったり、伝え方を変えたり、内容を調整したりもしている。

それでも、なかなか「自分で考えて動く」というところまではつながらない。

言われたからやる。

頼まれたから動く。

その状態から、どうやって一歩先へ進んでもらうのか。ここがずっと難しかった。

特定の人には、少しずつ変化が見えている。動けるようになってきた人もいる。けれど、普段その場にいない人や、たまに入るスタッフ、パートさんに対しては、どう関わればよいのかが簡単ではない。

タスクを渡せば動いてくれる。

でも、それはまだ「自分ごと」ではない。

この違いは、現場ではとても大きい。

特にレッスンに入ってもらう機会が増えている中で、パートさんにどこまで責任を持ってもらうのかという問題がある。もちろん、社員と同じ責任を求めるわけではない。けれど、子どもの前に立ち、レッスンを担当する以上、その場に対する責任はどうしても発生する。

やりがいは感じてくれていると思う。

「自分もレッスンをやれている」という感覚は、前向きな自信にもなっているはずだ。

ただ、何かが起きた時に、その出来事を自分の責任として捉えられるかどうか。そこに、まだ距離があるのかもしれない。

たとえば、子どもが椅子でガタガタしてしまう場面がある。危ないから「やめてね」と言うことはできる。でも、本当に必要なのは、ただ止めることではない。

なぜガタガタしているのか。

どうすれば課題に集中できるのか。

どんな声かけなら、その子が自然と姿勢を戻せるのか。

そういう視点を持てるかどうかで、レッスンの質は変わる。

終礼で子どもの共有はしている。危ない場面についても話している。声かけの仕方についても伝えている。

それでも、何か起きた時に「準備する時間をもらえなかったから」と外側に理由が向いてしまうなら、まだその責任は本人の中に根づいていないのかもしれない。

そこで見えてきたのは、単に伝え方の問題だけではなかった。

もっと深いところに、支援する側の関わり方がある。

もしかすると、私はやってあげすぎていたのかもしれない。

細かいところまで見て、フォローして、困らないように先回りする。もちろん、それは悪いことではない。むしろ、現場に対する愛情であり、責任感でもある。

実際、「細かいところまで見てもらえているからできる」「フォローしてもらえるからレッスンに入れる」という声があるのは、ありがたいことでもある。

でも、その言葉の裏側には別の意味もある。

「見てもらえないとできない」

「フォローがないと不安」

「ひとりではまだ立てない」

支えることが、いつの間にか依存を生んでいる可能性がある。

これは個人の優しさの問題でもある。困っている人を見ると助けたくなる。できるだけ不安を取り除いてあげたくなる。失敗しないように、傷つかないように、そばにいてあげたくなる。

でも、チームを育てるということは、ずっと一緒に立ってあげることではない。


支えることの目的は、相手を自分に寄りかからせることではなく、いつか自分の足で立てるようにすることだ。

ここには、会社全体としての課題もある。

今の組織は、良くも悪くも「研修ありき」になりすぎているのかもしれない。

研修してもらっていないからできません。

まだ教わっていないのでやりません。

ロープレで言われたからやっています。

こういう空気が強くなると、学ぶ側はいつまでも受け身でいられてしまう。教える側も、丁寧にやりすぎてしまう。結果として、「自分で学び、自分のものにし、現場でアウトプットする」という研修本来の目的が薄れていく。

本来、研修は入口でしかない。

一度学んだことを、現場で試す。うまくいかなければ考える。考えたことを共有する。そこからまた改善する。

その循環がなければ、研修は知識の受け渡しで終わってしまう。

そして、知識を受け取っただけでは、人は責任を持てない。

責任は、実際に自分で考え、判断し、行動した時に初めて育つ。

だからこそ、これから必要なのは「手を離す」ことではなく、「軸足を抜く」ことなのだと思う。

完全に任せきりにするわけではない。放置するわけでもない。困ったら支えるし、危ない時には止める。

でも、最初から一緒に立ってあげるのではなく、本人が立つ余白をつくる。

「あなたはインストラクターだから、まず考えてみて」

「どうしたらいいと思う?」

「その意見を聞かせて」

「その上で一緒に整理しよう」

この順番に変えていく必要がある。

今までは、こちらが一緒に立っていたのかもしれない。だから相手は安心できた。でも、安心と自立は同じではない。

これからは、本人が立とうとする。その周りをチームで支える。倒れないように見守る。必要な時には手を出す。

そんな関わり方に移っていくフェーズなのだと思う。

リーダーを各チームに置くという話も、その流れの中にある。

それぞれの現場にリーダーがいて、インストラクター同士で話し合う。困っていることや不安なことを共有し、足りない部分を補い合う。

管理者がすべてを見るのではなく、現場の人たちが自分たちで考える。

ミーティングも、最初は入って一緒に進めるかもしれない。けれど途中から少しずつ抜けていく。完全にいなくなるのではなく、見守る位置に移る。

それは、信頼の形でもある。

「できるはず」と信じるからこそ、すぐには手を出さない。

「考えられるはず」と思うからこそ、先に答えを渡さない。

この変化は、簡単ではない。

支える側にとっても勇気がいる。任される側にとっても、不安がある。今まで隣にいてくれた人が少し離れると、最初は心細い。

でも、その心細さの中でしか育たない力がある。

自分で見て、自分で考え、自分で選ぶ力。

それが現場に根づいていけば、レッスンの責任も、子どもへの関わりも、チームの動き方も変わっていくはずだ。

もう一つ、未来に向けて考えていることがある。

ジュニアの中に、専門支援の事業部のようなものをつくれないかという構想だ。

今は専門職の人数が限られている。けれど、大学などに出向き、こういう会社がある、こういう働き方があると伝えていければ、少しずつ専門職の仲間を増やしていけるかもしれない。

専門職が増えれば、より専門性の高い支援を独立して動かせる可能性がある。個別支援計画との連動や、専門支援の更新、モニタリングのあり方についても、今後考えられることは多い。

もちろん、制度上どこまで可能かは確認が必要だ。専門支援の人が計画を書ける範囲、モニタリングに関われる範囲、最終的に誰が取りまとめるのか。そこには慎重さも必要になる。

ただ、今の課題と未来の構想は、別々の話ではない。

どちらにも共通しているのは、「専門性」と「自立」をどう育てるかという問いだ。

現場のスタッフが、自分の役割に責任を持つこと。

リーダーが、自分のチームを見て考えること。

専門職が、自分の専門性を現場に還元すること。

そして管理者が、すべてを抱え込むのではなく、必要な距離を取りながら支えること。

組織が次の段階に進む時、必ずこういう問いが出てくるのだと思う。

誰がどこまで担うのか。

どこから任せるのか。

どこまで見守るのか。

どの瞬間に、手を出さずに待つのか。

優しさは大切だ。

でも、優しさだけでは人は育たない。

時には、相手が少し迷う時間を奪わないことも優しさになる。失敗しないように整えすぎるのではなく、失敗から学べるようにそばにいることも優しさになる。


本当の支援は、相手の不安をすべて消すことではなく、不安の中でも立てる力を一緒に育てることなのかもしれない。

これから必要なのは、突き放すことではない。

一緒に立つ位置から、少しだけ離れること。

相手の足元を見て、必要な時には支えられる距離にいること。

そして、本人が自分の足で立ち始める瞬間を、焦らず待つこと。

4月と5月に見えた課題は、単なる困りごとではなかった。

それは、チームが次の段階に進むための合図だったのだと思う。

支えることと、立たせることのあいだで。

そのちょうど難しい場所に、今の私たちはいる。

 
 
 

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