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エンタメ療育で広がっていく未来

私たちは知らず知らずのうちに、他人の可能性に「こうあるべきだ」というレッテルを貼っていないでしょうか。障がいがあるから、こういうことは難しいだろう。この特性があるから、きっとこうなるはずだ。しかし、一人の少女が、その思い込みがいかに脆く、そして人間の成長がいかに予測不可能であるかを、身をもって教えてくれました。それは、あるダウン症の女の子との出会いから始まった物語です。


今から10年以上前、私が東京の事業所で働いていた頃、一人の小学一年生の女の子が見学にやってきました。ダウン症のあるその子は、どこの事業所からも受け入れを断られ、困り果てていたと聞きました。確かにお友達を叩いてしまうことがありましたが、それは誰かを傷つけたいからではありませんでした。まだ言葉でうまく伝えられないもどかしさ、それでも「伝えたい」と願う心の叫びが、そうさせているのだと私には見えました。

その小さなサインを見過ごさず、彼女の内に秘めた思いを支えることこそが、私たちの仕事です。私たちは彼女を受け入れることを決めました。それが、長い長い付き合いの始まりでした。


彼女は、エンターテイメントを通じた療育の中で、まるで水を得た魚のように自分を表現することを学んでいきました。自分の気持ちを発信する力と、相手の思いを受け取る力。その両方をぐんぐんと伸ばしていったのです。やがて彼女は、特別支援学校ではなく「普通校に行きたい」と、自らの意思をはっきりと口にしました。ご両親も、そして何より本人が強く願っている。ならば、挑戦しない理由はありません。「いいじゃないですか、やってみましょうよ」と、私たちは彼女の背中を押しました。

そして今、彼女は高校二年生になりました。見事、自分で選んだ高校に合格し、ダンス部で活躍するダンサーです。週に6日、私たちのところに顔を出してくれますが、その姿は昔の彼女とは比べ物になりません。

一般的に、ダウン症のあるお子さんは、朗らかで、おとなしいタイプが多いと言われることがあります。しかし彼女は、私たちの「エンタメ療育」という環境の中で育つうちに、自分の意見を堂々と発信できる、誰よりもおしゃべりが好きな、活発な一人の高校生へと成長しました。学校の先生たちも「聞いていた話と全然違う」と目を丸くするほどです。

もちろん、今でも学校生活でのサポートは必要で、私たちは訪問支援も行っています。しかし彼女の存在は、「障がいがあるからこうだ」という固定観念が、いかに一面的なものであるかを証明してくれています。人は、その人を取り巻く環境によって、いくらでも変化し、成長していくことができるのです。


来年、彼女は高校三年生になり、その先には「働く」という新たなステージが待っています。ご両親からは「この子の物語の最終章を、ぜひお願いします」と託されました。プレッシャーはありますが、それ以上に私の心はワクワクしています。彼女には、可能性しかありません。彼女のような存在が、これからの未来を作っていくのかもしれない。そんな期待を抱かせてくれるのです。

 
 
 

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