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就労支援ではなく人生の足場をつくる

人生には、進路をひとつ選んだだけでは終わらない時期があります。学校を卒業して、働き始めて、それでも「ここではないかもしれない」と立ち止まる瞬間がある。そんなときに必要なのは、正解を押しつける場所ではなく、もう一度息を整え、次の可能性を一緒に探せる場所なのだと思います。


「帰ってこられる場所」をつくるということ

2月、事業所の内装を自分たちで進めながら、4月のオープンに向けた準備が少しずつ現実味を帯びてきました。

壁を整え、申請の細部を詰め、プログラムの骨格を組み立てていく。まだ完成した場所ではないけれど、そこにはすでに空気のようなものが生まれ始めています。

ここで何をするのか。

誰にとって、どんな場所でありたいのか。

その問いに向き合いながら、私たちは「ラフ大」という場を、ただの就労支援や自立訓練の施設としてではなく、人生の次の足場をつくる場所として立ち上げようとしています。

4月のオープンに向けて、2月は内装と指定申請の最終調整。3月からは、実際に就労支援や自立訓練で使うプログラムを組み立てていく段階に入ります。

教材はすでにあります。LITALICOの仕事ナビを契約し、ビジネスマナー、コミュニケーション、タイピングなど、就労に向けた教材は400種類ほど使える状態になっています。

でも、それをそのまま並べるだけでは、きっとラフ大らしくない。

大事なのは、既存の教材を「こなす」ことではなく、そこに通う人たちの現実や個性に合わせて、ラフ大流に精査し、アレンジし、ひとつのカリキュラムとして息を吹き込むことです。

テキストベースの学びも必要です。

同時に、現役エンジニアによるプログラミング講座のように、実際に社会の現場で働いている人たちが講師として関わる時間もつくりたい。

月曜日の3限目はプログラミング。

ある日はビジネスマナー。

ある日はコミュニケーション。

ある日は農業やダンスやスポーツ。

そんなふうに、本当の大学のように、カリキュラムがあり、講師がいて、学びの選択肢がある場所にしていきたいと思っています。

ただし、ラフ大が目指しているのは「学ぶ場所」だけではありません。

その先にある企業実習、インターン、就労先とのつながり、そして実際の出口をどうつくっていくか。そこまで含めて、利用者さんが社会にどうタッチしていけるのかを考えていく必要があります。

夏前後からは、その部分にしっかりドライブをかけていきたい。

机上のプログラムで終わらせず、現場とつながり、人とつながり、社会とつながる。

そこまでやって、初めて「進路」と呼べるものになるのだと思います。

今回の準備の中で、特に心に残った言葉がありました。

進路指導の経験を持つメンバーが、こう話してくれました。

高校3年生の3学期を迎えるまで、進路指導の先生たちは必死になって外に出て、学校や就職先を探し、交渉し、生徒一人ひとりに合う進路を選ぼうとする。

進路指導室には、こんなに日本には学校があるのかと思うほどの冊子やパンフレットが届く。その中から、より良いもの、より適したものを、会議を重ねながら選んでいく。

その努力は、本当に尊いものです。

けれど、そのうえで、私たちはもうひとつの責任を引き受けようとしています。

高校の先生が勧めてくれた進路を断ってでも、ラフ大に来てくれる人がいるかもしれない。

その人が数年後に、「あのときラフ大を選んでよかった」と思える場所にしなければならない。

これは、単なるサービス設計の話ではありません。

誰かの人生の分岐点を預かるということです。


私たちがつくろうとしているのは、進路の代替案ではなく、その選択を「よかった」に変える場所です。

この言葉の重さを、私はあらためて感じました。

学校を卒業してすぐに働く人もいます。

一度就職したけれど、うまくいかなくなる人もいます。

職場に入ってみたら、思っていた世界と違った。人間関係が苦しい。自分のペースでは続けられない。でも、辞めることすらうまく言い出せない。

今の社会には、そういう人がたくさんいます。

退職代行という言葉が広がった背景にも、「もう無理です」と自分で言う力すら残らないほど追い詰められる人たちの存在があります。

働くことに失敗したのではなく、逃げ道がなかった。

相談できる人がいなかった。

次の可能性を一緒に考えてくれる場所がなかった。

だから、私たちはラフ大を「入る場所」だけにしたくありません。

一度就労した人が、また次の仕事を考えるために来てもいい。

高校卒業後、すぐに就職せず、ラフ大で自分のペースを整えてから次を考えてもいい。

就労した後も、つながりが続いて、何かあったときに戻ってこられる場所であってもいい。

23歳でも、24歳でも、30代でも。

もっと言えば、40歳でも、50歳でも、60歳でも。

生涯にわたって、どこかで「帰ってこられる場所」でありたい。


人は一度つまずいたから終わりなのではなく、戻れる場所がないときに本当に孤立してしまう。

ラフ大が担いたいのは、その孤立をほどく役割です。

もちろん、そのためには現場の足場が必要です。

理念だけでは人は支えられません。

利用者さんとの日々のやり取り、サービス管理、プログラム運営、関係機関との調整。そうした地道な部分を支えてくれる人たちがいて、初めて場は成り立ちます。

一方で、外に向かって企業や地域と交渉し、就労先や実習先を開拓していく動きも必要です。

内側の安心と、外側への出口。

この両方をつくらなければ、ラフ大はただ居心地のいい場所で終わってしまう。

安心できる場所でありながら、次へ進む力も育つ場所でありたいのです。

その可能性のひとつとして、農業の話も出ました。

農福連携という言葉があります。

福祉と農業がつながり、働くことや暮らすことの選択肢を広げていく取り組みです。

東京では、都市の中で農業体験を行っている方とのつながりがあります。東京農大の近くで畑を借り、野菜を育てたり、土に触れたりする機会がある。

鹿沼にも、農福連携を長く実践している事業所があります。A型、B型としてしっかり農業に取り組み、果物や野菜を育てている場所です。

こうしたつながりは、すぐに契約や制度の話にする必要はないと思っています。

最初からガチガチに枠を決めると、かえって関係が硬くなってしまうことがあります。

まずは、人と人がつながる。

顔を合わせる。

互いに何を大事にしているのかを知る。

そのうえで、一緒にできることがあれば、少しずつ形にしていく。

これは農業に限った話ではありません。

ダンスやスポーツの世界にも、同じような広がりがあります。

スペシャルオリンピックスとのつながりも、そのひとつです。

オリンピックがあり、パラリンピックがあり、そして知的障害や発達障害のある人たちを中心としたスペシャルオリンピックスがあります。

その中で、チアが少しずつ競技として広がろうとしています。

子どもから大人まで、幅広い年齢の人たちがチアを通して身体を動かし、表現し、仲間と一緒にひとつの場をつくる。

有明コロシアムで見た光景は、とても印象的でした。

50人ほどのメンバーが踊っていて、曲にはGLAYのTERUさんやMISIAさんが関わり、振り付けには安藤美姫さんが関わっている。

その華やかさ以上に心に残ったのは、そこにいる人たちが、競技や表現を通して社会とつながっているという事実でした。

ラフ大が目指していることとも、どこかで重なります。

働くことだけが社会参加ではありません。

踊ること。

育てること。

学ぶこと。

教わること。

人前に立つこと。

仲間と同じ時間を過ごすこと。

そのすべてが、自分は社会の一部なのだと感じる入口になり得ます。

さらに、ダンス教育の領域でも新しいつながりが生まれつつあります。

ダンス療育、介護予防、学校や支援学校への講師派遣などを行う団体との協働の話も進み始めています。

児童の領域から始まる話ではありますが、大人の学びや就労、自立の部分にもつながる可能性があります。

こうした動きは、まだ水面下です。

大きく打ち上げる段階ではありません。

むしろ、丁寧に、丁寧に、関係性を築いていく時期です。

人を紹介してもらう。

顔を合わせる。

話を聞く。

お互いの温度感を確かめる。

一緒にできることを焦らず探す。

事業をつくるというと、つい計画書や契約や数値目標が先に来るように思われがちです。

もちろん、それらも必要です。

でも、本当に人を支える場所は、たぶんそれだけではできません。

「あの人に会ってみよう」

「あの場所なら合うかもしれない」

「一度戻ってきてもいいよ」

「次はこっちを試してみよう」

そういう言葉が自然に交わされる関係性の網の目があって、初めて人は安心して挑戦できるのだと思います。

ラフ大の準備は、内装や申請だけではありません。

教材を整えることだけでもありません。

企業や農業、ダンス、スポーツ、教育、福祉、家庭、地域。

その一つひとつを、ゆっくりと結びながら、誰かが次の一歩を踏み出せる場所をつくっているのだと思います。

そして、その中心に置きたいのは、やはり「帰ってこられる場所」という感覚です。

進路を選ぶとき、人はとても不安です。

働き始めるときも、不安です。

辞めるときも、失敗したと感じるときも、もう一度やり直そうとするときも、不安です。

そのたびに、誰かが隣で「大丈夫、次を一緒に考えよう」と言える場所があったら、人生は少し違って見えるかもしれません。

ラフ大は、そのための場所でありたい。

高校の先生が勧めてくれた道を断って来た人にも、一度社会に出て傷ついて戻ってきた人にも、まだ自分の働き方が見つからない人にも。

ここに来たことを、いつか「よかった」と思ってもらえるように。

そして、たとえまた外の世界で苦しくなったとしても、もう一度帰ってこられるように。

私たちは今、そのための場を、壁の一枚、教材の一つ、人とのつながりの一つから、少しずつつくっています。

 
 
 

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