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ラフダイが感覚統合療法の宝庫である理由

教室で消しゴムを落としただけなのに、その子の一日は少しずつほどけていくことがあります。拾う、戻す、先生の話を聞く、ノートを見る、次の指示についていく——大人には何でもない動作の連続が、ある子にとっては山を登るようなことだったりするのです。大切なのは、「どうしてできないの?」と責めることではなく、その子の中でまだつながっていない感覚と動きの回路を、一緒に見つけていくことです。


「できない」のではなく、まだつながっていないだけ

ある男の子の話をします。

その子はいわゆる発達性協調運動障害の特性があるお子さんでした。感覚統合がうまく使えていなくて、体の使い方が少しぎこちない。思ったように手足を動かすことが難しかったり、物の管理がうまくいかなかったり、情報処理に時間がかかったりする。

本人の中には、ずっとフラストレーションがありました。

やりたいのに、うまくできない。

周りと同じように動きたいのに、間に合わない。

先生の話も聞きたいし、ノートも見たいし、道具も出したいのに、体と感覚がうまく噛み合わない。

こういう子は、ラフダイにとって本当にぴったりのお子さんです。

なぜなら、ラフダイは感覚統合療法の宝庫だからです。

発達性協調運動障害は、一見するととてもわかりづらいことがあります。ぱっと見ただけでは、「怠けている」「不注意」「ふざけている」と誤解されてしまうこともある。学校の先生も、どう関わればいいのかわからなくなってしまうことがあります。

でも、本人の中ではちゃんと理由が起きています。

体の動かし方がわからない。

目と手の距離感がつかみにくい。

肩、肘、手首、指先の動きがまだ分化していない。

目で見た情報と、体を動かす感覚がうまく統合されていない。

だから、落としてしまう。

ぶつかってしまう。

片付けられない。

指示についていけない。

これは「やる気」の問題ではありません。

体と感覚の回路の問題です。

子どもの困りごとは、わがままではなく、まだ言葉になっていない身体からのサインであることがあります。

たとえば、授業中の机の上を想像してみてください。

消しゴムがある。

筆箱がある。

鉛筆がある。

ノートがある。

教科書がある。

先生の話を聞かなければいけない。

黒板も見なければいけない。

ノートにも書かなければいけない。

大人から見ると、ただの授業風景です。

でも、その子にとっては、同時に処理しなければいけないことが多すぎる状態です。消しゴムを動かすだけでも、手の位置、物との距離、力加減、肘の動き、手首の動き、視線の向け方、姿勢の保持など、たくさんの感覚と動作が必要になります。

そのうちのどこかがまだうまくつながっていないと、消しゴムは落ちます。

落ちた消しゴムを拾おうとする。

その間に授業が進む。

先生の説明を聞き逃す。

何をすればいいかわからなくなる。

周りとの差を感じる。

本人の中に焦りや苛立ちが生まれる。

そうなると、「できない」が積み重なっていきます。

でも本当は、できないのではありません。

一度に求められている動作が多すぎるだけなのです。

だから必要なのは、スモールステップです。

本当に小さな、小さなステップでいい。

まずはノートを出す。

次に消しゴムを出す。

次に鉛筆を持つ。

次にそれを机の上の決まった場所に置く。

ひとつずつ、できるようにしていく。

遊びの環境の中で、何度も練習していく。失敗しても大丈夫な場所で、体を使い、目を使い、手を使い、感覚を少しずつ統合していく。そうすると、少しずつ回路ができてきます。

最初はぎこちなかった動きが、だんだんスムーズになっていく。

昨日より少し、手が届く。

前より少し、落とさずに持てる。

ひとつの動作が、自信を持ってできるようになる。

そこで初めて、次のステップに進めばいいのです。

いきなり二つ、三つ、四つ、五つの動作を求めるから難しくなる。まずはひとつの動作を、本人が「できた」と思えるところまで伴走する。その「できた」という感覚が土台になります。

支援で大切なのは、ただ訓練することではありません。

本人が自分の成長を感じられること。

お母さんやお父さんが、その小さな変化を一緒に喜べること。

周りの大人が、「この子は困らせている」のではなく、「この子が困っている」と見方を変えられること。

それだけで、子どもの世界はずいぶん変わります。

その男の子も、今では普通級で楽しく過ごしています。

もちろん、最初からすべてがスムーズだったわけではありません。ひとつずつでした。道具を出すこと。置くこと。見ること。聞くこと。動くこと。そのひとつひとつを分けて、本人ができる形にして、少しずつ積み重ねていきました。

そして、その積み重ねの先に、「できた」という表情が生まれました。

この瞬間を、お母さんやお父さんと一緒に喜べること。本人の中に生まれた小さな自信を、そばで一緒に感じられること。それが、この仕事の強みであり、ラフダイのいいところだと思っています。

子どもは「できた」を積み重ねることで、自分の体を信じられるようになる。

発達性協調運動障害のある子に必要なのは、大きな奇跡ではありません。

必要なのは、その子の困り感を正しく見つけること。

できない理由を、責めるためではなく理解するために見ること。

そして、その子のペースで、ひとつずつ一緒に練習していくこと。

消しゴムを落とす。

ノートを出すのに時間がかかる。

筆箱の中身をうまく管理できない。

その小さな場面の中に、その子の感覚の世界が表れています。そこを丁寧に見てあげることができれば、支援はもっとやさしく、もっと具体的になります。

子どもは、できない自分を責められ続けると、挑戦することをやめてしまいます。

でも、できる道筋を一緒に見つけてもらえたとき、もう一度やってみようと思える。その一歩が、体の動きだけではなく、心の動きも変えていきます。

だから私たちは、急がなくていい。

ひとつできるようになったら、次のひとつへ。

その子が「できた」と感じられるところまで、しっかり伴走する。

その積み重ねが、やがて教室での安心になり、家庭での笑顔になり、本人の自信になっていく。

消しゴムを落とさずに置けるようになることは、ただの動作の獲得ではありません。

それは、その子が自分の体と少し仲良くなる瞬間です。

そして、その瞬間を一緒に喜べることほど、支援者としてうれしいことはありません。

 
 
 

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