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仕事や人生を「楽しめる人」になること。

AIが私たちの仕事を奪うという不安が、まるで冷たい霧のように社会を覆っています。しかし、歴史を振り返れば、人間はいつだって自らの能力をアウトプットしてきました。産業革命で「筋肉」が、機械化で「手先の器用さ」が、そして今、AIによって「頭脳(計算能力)」までもが。一つ、また一つと人間の役割が機械に代替されていく引き算の果てに、最後に残るものは一体何なのでしょうか。その答えは、意外にも私たちの最も人間らしい部分、つまり「感情」の中に隠されているのかもしれません。


AI時代に「最後に残るもの」とは何か?

世界中の企業で「AIによる大量解雇」というニュースが飛び交っています。特に大手プラットフォーマーを中心に、人員削減の波が押し寄せているのは事実です。これまでの仕事がAIに代替されていく流れは、もう誰にも止められないでしょう。


しかし、こと日本においては、少し様相が異なります。私たちは生産年齢人口の減少という、慢性的な人手不足の状況にあります。つまり、仕事さえ選ばなければ、AIによって職を失うという事態にはなりにくい。ある意味で、働きたい人にとっては「ボーナスタイム」とも言えるのです。だからこそ、私たちはいたずらに怯えるのではなく、これから生まれる新しい仕事に目を向けるべきなのかもしれません。


では、これからどんな仕事が残り、どんな仕事が生まれていくのでしょうか。そのヒントは、過去の大きな変化の中にあります。

かつては百人力の農夫が価値を持っていた時代から、トラクターがその役割を担う時代へ。

手先の器用さが求められた工場労働は、やがてロボットに代替されていきました。

そして今はコンピューターを駆使して情報を処理できる、いわゆるエンジニアやプログラマーといった人々が最も価値を持つとされてきたのです。しかし、この数年、生成AIの登場によって、その「頭脳」さえも、予測をはるかに超えるスピードで代替され始めています。


筋肉、手先、そして計算能力。これらが次々と外部化されていった後、人間には一体何が残るのか。引き算の果てに残るのは、やはり「感情」なのだと思います。アーティストやクリエイターのような一部の天才だけではありません。今、こうして誰かと対話することも、情報の交換であると同時に「感情の交換」です。人に寄り添い、親身になって話を聞く習い事や、長年通い続けたなじみのご飯屋さんとの会話。そうした感情のやり取りがある領域は、最後まで人間の役割として残り続けるでしょう。


これは企業組織においても同様だと考えています。これまで仕事の「正確性」で評価されていたものが、AIによって誰もが正確であることが前提になります。すると、次に問われるのは「この人がいい人だから通いたい」という、人間的な魅力や性格の良さです。

かつては「仕事さえできれば、性格に多少難があっても目をつぶる」という風潮があったかもしれません。しかしこれからは、「性格が良くないなら、別にあなたでなくてもいい」という時代になっていく。会社の理念やビジョンを語り、人々を感情的に束ねる組織のムードメーカーが、本当に高く評価される時代が来るのかもしれません。


そしてもう一つ、これから価値を持つようになるのは「楽しめる人」であることです。

「生成」が当たり前になった世界で、次に希少価値を持つのは何か。それは、生成されたものを「楽しむ」能力です。その最たる例が、ゲーム実況でしょう。彼らは何かを生み出しているわけではありません。ただ、ゲームを誰よりも面白く楽しむプロであり、その過程を見せることで何百万人もの人々を惹きつけているのです。


AI時代に求められるのは、機械のように正確であることではありません。むしろ、人間らしい感情を豊かに表現し、他者の感情を揺さぶり、そして何より、自分自身が仕事や人生を「楽しめる人」になること。それこそが、AIには決して代替できない、私たち人間に残された最後の、そして最も重要な価値だと私は考えます。ラフ大が追求する価値はここにあるのかもしれません。

 
 
 

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