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未就学期の療育は、感覚を育てる宝庫

子どもが落ち着きなく動き回っているとき、私たちはつい「じっとして」と言いたくなります。でも、その動きの奥には、本人にもまだうまく扱えない体の感覚が隠れていることがあります。ふわふわ歩いていた子が、ある日ペタッと足をついて歩き始める。その変化は、根性や注意ではなく、体が少しずつ「自分の使い方」を覚えていく過程なのだと思います。


児童発達支援と放課後等デイサービスの現場にいると、未就学のお子様と関わる機会が多くあります。

じっとしていられない。

止まっていられない。

歩き方がどこかふわふわしている。

体の使い方がまだうまく定まっていない。

そういう子たちを見ていると、未就学の時期というのは、本当に大事な感覚を学ぶ宝庫だと感じます。

年齢が上がってからも体の使い方は育っていきますが、未就学の段階には、その土台になる感覚がたくさん詰まっています。特に大切なのが、自分の体がどこにあって、どう動いていて、どこに重心が乗っているのかを感じ取る力です。

専門的には体性感覚とも呼ばれるものです。

私たちは普段、あまり意識せずに立ったり、歩いたり、座ったりしています。右足に体重が乗っていることも、お腹まわりで姿勢を支えていることも、ほとんど考えていません。

でも、子どもによっては、その感覚がまだ十分に育っていないことがあります。

そうすると、体の中心が定まりにくくなります。お腹のまわりがうまく使えないので、姿勢がふわふわして見える。歩いていても足が床にしっかり乗りにくい。片足で立とうとしても、軸のバランスが取れない。

大人から見ると「落ち着きがない」と見える行動も、実は体の感覚がまだ育ちきっていないサインであることがあります。

だからこそ、ただ「止まりなさい」と言っても難しいのです。本人の意思の問題だけではありません。体の中に、まだ止まるための準備が整っていないことがあるからです。

では、片足バランスが苦手な子には、片足バランスを練習させればいいのでしょうか。

実は、そこが少し違います。

片足で立てないからといって、いきなり片足立ちを何度も練習する。これは、土台ができていないところに完成形だけを求めているようなものです。

必要なのは、その前の段階です。

まずは、体性感覚そのものを育てていくこと。自分の体の前、後ろ、右、左、横、斜め。お腹まわりをどう使うのか。寝転がるとき、座るとき、大股で歩くとき、転がるとき、体がどんなふうに動くのか。

そういう感覚を、遊びの中で少しずつ身につけていきます。

たとえば、バナナのように体を丸めて転がる。大股で歩く。座る。寝転がる。左右に動く。先生と一緒にいろいろな動きを試してみる。

子どもにとって、これはトレーニングというより遊びです。

でも、その遊びの中で、体は確かに学んでいます。


子どもの体は、説明よりも先に、感覚で世界を覚えていく。

大人が言葉で「右に体重を乗せて」と説明しても、子どもにはまだわからないことがあります。けれど、遊びながら何度も体を動かすうちに、「あ、今こっちに乗っている」という感覚が少しずつ育っていく。

その次に、体重移動を遊びながら行っていきます。

右足に重心が乗る。

左足に重心が移る。

体の中心が動く。

でも倒れない。

この感覚が入ってくると、ようやく次の段階に進めます。

右足にしっかり体重が乗っている感覚がわかるようになる。そこで初めて、反対側の足を少し上げることができるようになる。

つまり、片足バランスは「片足を上げる練習」だけでできるようになるわけではありません。

片足を上げる前に、もう片方の足に体重を乗せる感覚が必要なのです。自分の重心がどこにあるのかを、体でわかる必要があるのです。

この順番を大切にすると、子どもの動きは少しずつ滑らかになっていきます。

最初はふわふわ歩いていた子が、通い始めて3ヶ月ほどで、ペタッと足をついて歩けるようになることがあります。足裏で床を感じているような、体の中心が少しずつ定まっていくような変化です。

そして6ヶ月ほど経つと、先生や周りの子の動きを見よう見まねで、ダンスのような動きを始めることもあります。

その姿を見ると、体が育つということは、ただ運動が上手になることではないのだと感じます。

自分の体を信じられるようになること。

動いても倒れないと感じられること。

誰かのまねをしてみようと思えること。

世界に対して、少し安心して参加できるようになること。

そこまで含めて、体の発達なのだと思います。

未就学の時期の療育は、本当に大切です。

この時期の子どもたちは、成長がとても早いです。もちろん一人ひとりのペースはあります。でも、適切な順番で、適切な関わりをしていくと、短い期間の中でも驚くほど変わっていくことがあります。

大切なのは、できないことを責めることではありません。

なぜできないのかを見立てること。

どの感覚がまだ育っていないのかを見ること。

そして、遊びの中でその感覚を育てていくこと。

「じっとしていられない子」と見るのか。

「まだ体の中心を探している子」と見るのか。

その見方だけで、関わり方は大きく変わります。

子どもの行動には、必ず理由があります。ふわふわ歩くことにも、止まれないことにも、片足で立てないことにも、その子なりの体の事情があります。

だから私たちは、表に見えている動きだけを見るのではなく、その奥にある感覚を見ていきたい。

ふわふわしていた足が、床を感じ始める。

ペタッと歩けるようになる。

そして、誰かの動きをまねて、楽しそうに踊り始める。

その小さな変化の中に、子どもが自分の体と出会っていく瞬間があります。


できるようになる前に、感じられるようになる必要がある。

未就学の療育で育てているのは、ただの運動能力ではありません。

その子が自分の体を使って、世界の中に安心して立つための土台です。そしてその土台が育つと、子どもは自然に動き出します。歩き方が変わり、姿勢が変わり、表情が変わり、やがて見よう見まねでダンスを始める。

その瞬間を見るたびに思います。

子どもの成長は、いつも体の奥の小さな感覚から始まっているのだと。

 
 
 

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