福祉現場で「心が動く瞬間」と記憶
「なぜそんな昔のことを覚えているんですか」と聞かれるたびに、少し考え込んでしまう。特別な記憶術があるわけでも、メモを欠かさないわけでもない。ただ、気づいたことがある——私たちが本当に覚えていることは、いつも、心が震えた瞬間だということを。
スタッフからよく聞かれることがある。「南先生って、なんでそんな昔のことまで覚えているんですか。保護者さんとのやりとりも、お子さんのことも」と。
正直に言えば、覚えようとしているわけではない。特殊な能力があるわけでも、ましてや記憶力が人より優れているわけでもない。でも、その問いに向き合ってみると、答えはシンプルだった。
心が動いたことは、覚えている。それだけだ。
妻にプロポーズした日のことは、今でも鮮明に覚えている。運動会で優勝できなくて、仲間と一緒に泣いたあの午後も。心が揺れた瞬間というのは、時間が経っても色褪せない。匂いや光の感じまで、記憶の中に残り続ける。
反対に、コンビニでアルバイトをしていた頃のことを思い出そうとすると、「していた」という事実だけがある。レジを打っていた一日一日の記憶は、ほとんど残っていない。当時の店長さんには申し訳ないのだが、あれは惰性だったのだと思う。心がそこにいなかった。
今の仕事は違う。
福祉の現場で保護者の方やご利用者の方と向き合うとき、誠心誠意、心からその人のことを考えている。うまくいったら一緒に喜ぶ。うまくいかなかったら、本当に一緒に悩む。それは義務感ではなく、その人のことが、その瞬間が、自分にとって本物だから起きることだ。
だから覚えている。
その記憶が、今度は別の誰かの支えになることがある。過去に経験した似たような状況、乗り越えた困難、喜びに変わった瞬間を共有することで、「そういう未来もあるんですね」と、見通しが開けることがある。記憶は過去のものだけど、誰かの今を照らすことができる。
覚えるとは、技術ではなく、姿勢だと思う。本気で苦しんで、本気で喜んで、本気でその人と向き合ったとき——心はちゃんと動いている。そして心が動いた瞬間は、記録しなくても、忘れない。どんな仕事においても、どんな関係においても、記憶に残るものの正体はいつもそこにある気がしている。


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